ヨーロッパ青春ドライブ紀行・1973(18)

8月15日(火)    コルチナダンペッツオ→ボルツアーノ

 コルチナの街近くの峠での野営は快適だった。近くに小さな宿があり、その経営者の方が何かと面倒をみてくれた。旅人にやさしい。
 昨晩、野営したところは正式なキャンプ地ではなかったが、テントの隣には、キャンピングカーで旅をしているイタリアの小学校教師の家族もいた。
画像
キャンプ地

 午前9時出発。今日のルートはドロミテアルプスの中央を縦貫する。ヘアピンカーブの連続であった。道を登りきると四方に石灰岩特有の山体が間近に迫り、2000m級の山からの涼風が心地よい。
 ドロミテ山群の風景もそろそろ見飽きてきた。
 ドロミテ地方は、山脈全体が観光地になっているようで、道路沿いにはたくさんのキャンプサイトが点在し、色とりどりのテントの群れが箱庭のように見える。
 ここ数日間のルートは、山岳道路だが、高性能な車(FF駆動、ラジアルタイア、粘りのあるエンジン)のお陰で難所もなんなく切り抜けられた。

 途中のレストランで昼食。昨日もピザを食べたが、今日もピザ。やはり本場ものはおいしい。値段も手ごろで、600~800L(300~400円)、ボリュームもあり満腹になる。

 ところでここイタリアではサマータームを実施しており、通常より1時間、時刻を早めている。お陰でなにかと手違いが出てくる。その一番は、ふつうの店は、午後1時で閉めてしまうこと。(但し、レストランは別。しかしピザは午後7時頃からでないと売っていない)。だから買い物には注意が必要。うっかりしていると、買いたいものが手に入らぬことも。

 イタリア国内の道路事情は、ドイツ等に比して格段に落ち、日本のそれに近い。一級国道でも分離帯はなく、舗装の状態もよくない。
 午後3時、ボルツアーノ(Bolzano)着。ドロミテアルプスも終わり、層雲峡のような周りが絶壁で空はるか高く、見上げないと見えないくらい。道路は急降下するような斜度。
 ボルツアーノは、ひっそりとした中世風の古いたたずまいを残す街。今日8月15日はキリストの処女受胎日(?)で、休日のもよう。レモネードを飲んで一息つき、宿探し。頭が突っ返そうな屋根裏部屋だが運よく見つかる。その分、宿代も安く1800L(900円)。部屋は清潔で、数日ぶりに風呂に入る。
 下着も取替えさっぱりとした。
 夕食は、ヌードル、ステーキ、サラダ、パン、ワイン、ビールのご馳走。今日はよく眠れそうだ

ドイツ語を話す町、ボルツァーノ
フィレンツェから北に約3時間。9時35分発のユーロスターに乗って、13時前に到着したのがボルツァーノ。東アルプスのドロミテ麓に位置し、イタリア最北端の町の1つです。北へ80キロ行けばオーストリアで、さらに北上するとすぐドイツ国内です。
ボルツァーノは1918年までオーストリア領だったこともあり、イタリア語とドイツ語の2カ国語が公用語になっています。駅名もボルツァーノ・ボーゼン(Bolzano Bozen)と、イタリア語とドイツ語の併記、市内は銀行の看板も、香水の広告も、交通標識すら2カ国語で書かれています。地元の人もイタリア語とドイツ語を話せるバイリンガルばかり。学校ではイタリア語、家庭ではドイツ語を話す子どもも多いのだとか。

"ヨーロッパ青春ドライブ紀行・1973(18)" へのコメントを書く

お名前
メールアドレス
ホームページアドレス
コメント