東日本大震災復興支援ツアー

13/7/6(土)~7(日)、一泊二日で、東日本大震災復興支援ツアーに参加しました。
 初日は岩手県一関まで新幹線、一関からツアーバス、陸前高田、気仙沼を巡って花巻まで。
二日目は、花巻からバスで平泉経由一関までが行程です。


 
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  東京を7時過ぎ、盛岡行きに乗りました。


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乗車券はジパングに入っているので、乗車券、特急券とも30%引き。助かります。


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午前9時半過ぎ、一関着。10時発の支援バスに乗り込みました。岩手交通の大型バス、乗客は総勢19名です。バスには、今日の行程が貼られていました。


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JR気仙沼線が大きく北へ迂回してやっと千厩(せんまや)付近で国道沿いに戻ってきました。


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JR気仙沼線は、一関から気仙沼までは今回の震災被害は軽微で、在来線の列車が運行されています。しかしその先の海岸沿いを通る線路は津波による被害が甚大で、今だ復旧の見通しはたっていません。その間は、この代替バス(BRT)が運行されています。


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いよいよ陸前高田市内に入ってきました。この辺りは標高が高いところです。


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いよいよ大津波が押し寄せた地域に入ってきました。ガレキはきれいに片付けられています。


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仮設店舗が点在していました。


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大船渡港です。港に接する地域の建物は跡形もありません。土台を残すのみです。


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道路に引いてある白線は震災前のものだそうです。


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陸に打ち上げられた漁船(第十八共徳丸)が見えてきました。保存か解体か意見が分かれていたようですが、解体されることになったそうです。被災者の気持ちは複雑なようです。


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同上

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延々と続く被災地域


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仮設店舗


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高台住宅地造成地

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仮設住宅


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海岸に流れ込む河川の河口に立地する陸前高田市立気仙中学校。津波に呑み込まれたが、生徒・教職員全員が事前に近くの高台に避難、事なきを得たという。校長は、他所(内陸部)から着任者だという。津波に対する慣れがなかったのが幸いしたという。津波への恐怖感が校長をして迅速な避難につながったのでは。一方では、津波(警報)に慣れてしまったのが災いし、多くの児童・生徒・教職員を失った学校もあった。


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同上

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同上(グーグルアースによる)

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同上(この中学校は、遺構として保存する話があるとのこと)


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ガレキが一部残っているところも。

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陸前高田の海岸防砂林でただ一本残った松。(レプリカ)

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海岸近くにある陸前高田、道の駅。


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同上

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道の駅前にある献花台

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道の駅から内陸部を臨む。この地域一帯は商店や一般家屋が軒を連ねていたという。陸前高田駅もここから数100mほどのところにあった。線路と駅前広場の痕跡が残っている。


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気仙沼線陸前高田駅付近に残されたレール


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残った三階立てのビル。屋上に、津波が襲った高さが、赤ペンキで示されていた。


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陸前高田駅前からかつての商店街方面を臨む。なにもない。

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ボランティアのガイドさんが、被災前の様子の写真と比較してくれた。甚だしい喪失感。


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かつての駅前ロータリー。駐車枠の白ペンキと、駅から伸びる商店街の道路が伸びている。


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海岸近くでは地盤沈下も甚だしい。

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被災したマンション。コンクリート造りだから建物は残った。四階までの部屋のガラス戸は全て割れている。5階部分は無傷と津波の高さが歴然と残された。

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